いつか王子駅で

いつか王子駅で

読み始めて思い浮かんだのは最近観たいーすたんゆーすの映画「ドッ/コイ/生/キ/テル/街ノ/中」である。ライブ映像にはさまれて、よしのひさしが荻窪をカメラと歩く道々、住んでいたアパートとかよく通った高架下の飲み屋なんかを紹介していくのだが、王子駅という行ったことのないその場所も、きっとよしのひさしが暮らしていた当時の荻窪と同じ姿をしているのだろうなあと思う。堅気な職人が多く住まう町。
瞬間の記憶、なのだと思う。この一冊は。人々の生活感覚と町の風景とをやんわり紙上に載せているように思う。

気持ちよく遊び、いちばん身体にあったリズムで精一杯の仕事をする。そういう自由を手にする権利は誰にでもある。しかし一生懸命やったから負けてもいいと試合の前に悟ってしまうのは見当ちがいだし、かといって是が非でも勝たなければと自分を追いつめるのもおこがましい。このふたつの矛盾のあいだでじっと動かずに待つときの気持ちの匙加減はとても難しいのだが、正吉さんの表現をいくらか変形するなら、普段どおりにしていることがいつのまにか向上につながるような心のありよう、ということになる。いつもと変わらないでいるってのはな、そう大儀なことじゃあないんだ、変わらないでいたことが結果としてえらく前向きだったと後からわかってくるような暮らしを送るのが難しいんでな、と正吉さんはピースの缶を手によくつうやいていた。

正吉さんは結局最初しか出てこないし、「かおり」のおかみさんのお誘いを断ってしまったがために話は宙にういて、咲ちゃんはきっと勝つのだろうが結果はわからず。でも、そんなところが深みがあっていいな、と思うのです。