問題を相手に伝えて解決を図るやりかたでないと、その問題と向き合っていることにはならないのだろうか。と問うと、相手に伝えないというのもひとつの処世法だから否定しないよ。と返事がきた。理想(問題を相手と話し合う)を高く持つことは大切だけど、口に出した理想と現実の行動(話しあわず自分で解決する)とが伴わない方が納得できないのではないかと言われた。
自分の中に「こういうときはこうしよう」という式が気付かぬうちに出来ていたらしい。処世法だから仕方ないと言ってしまえばそれまでだけど、生きていくすべだから、技術だから、それが嫌いでも自分の技術と寛大に受け入れられるようになりたい。

相手に問題点を全部伝えることが解決につながる、とはわたしは思わない。だけど伝えなくても伝えられるように変わりたいとは常々思う。