生きることと死ぬことを最近よく考える。
現代社会で「死」とはつまり「知らない事」で「知られない事」ではないかというのが最近のわたしの見解。ツイッター等でリアルタイムの自分を手軽に表現できるからなのか、久しく更新していないブログのことを「死んでる」と言ったり、久しぶりの更新で「生きてます」といったりしますもんね。会話の中で知らない話題になると沈黙してしまったら、会話間で死んでいることになりますし、仕事で知らない事があるとその仕事は端的に言えばできないことになり、会社で仕事ができないということはつまり会社で死んでいるということになるのだと思います。
「生」とはつまり知識欲あるいは好奇心のことではないかというのが最近のわたしの見解。いきいきしている人はなにか得るそのエネルギーではつらつとするのではないかと思います。情報あふれているゆえに、知らないということがあり得ない昨今。必要な情報を自分で探すことがおっくうになる程だと思います。おっくうになって多くの人はあきらめてしまうのだとおもいます。それをあきらめず追求することが生きることだとおもいます。